崩れた瞬間から、すべてが始まった
「変わりたい」「報われたい」
その一心で、私は努力を重ねていた。
毎朝5時に起き、SNSに投稿し、教材のテンプレートをなぞる。
感情を捨て、反応を追い、成果が出るまで数を打ち続けた。
「これが成功者の道」
「みんなこうして伸びてきた」
そう信じて、誰かのルールに自分を埋め込んでいった。
それは、自分の輪郭を消すことと引き換えの努力だった。
そして、ある日。
何気ない投稿ボタンが、なぜか押せなかった。
通知が1件届いただけで、心臓が跳ねた。
タイムラインを見たら、フォロワーが減っていた。
なのに、それより深く突き刺さったのは、自分の内側から何の感情も湧いてこなかったことだった。
空っぽだった。
疲れていた。
何のためにやっていたのか、わからなかった。
その瞬間、心の奥から、こんな問いが浮かんだ。
「私は、誰の人生を生きていたんだろう?」
「正解信仰」に飲み込まれていた自分
あの頃の私は、正解という幻想を、信仰のように抱えていた。
「成功している人の言うことは正しい」
「成果を出すには、まず従うこと」
そんな思い込みの中で、思考を止めていた。
自分の感覚を閉じ、
自分の声を無視し、
自分のペースすら手放して、
ただ、「言われた通り」の道を歩こうとした。
・うまくいく人のやり方を探し回り
・結果が出ないたびに自分を責めて
・「もっと努力すれば変われる」と信じていた
気づけば、努力は加速していた。朝5時に起き、SNSを投稿し、空っぽの言葉を並べ続けた。
「まだ足りない」
「もっと頑張らなきゃ」
その言葉だけが、心の中を支配していた。
でも、本当はわかっていた。
苦しかった。
怖かった。
限界が近いのも感じていた。
それでも止まれなかった。
違和感に気づくことが、崩壊に直結するのが怖かったから。
だから私は、「問い」を持たないようにした。
問いさえなければ、疑わずに走れると思っていた。
けれどその選択こそが、私を静かに壊していたことに、気づいていなかった。
「問い」が生まれた瞬間、景色が変わった
あの日、たまたま手に取った一冊の本。
何気なく読み進めていたページに、こんな一文があった。
「あなたは、自分に問いを持っていますか?」
その瞬間、心臓を掴まれたように、息が詰まった。
読み進めることができなかった。
私は、自分に問いかけたことなんて、一度もなかった。
「成果が出るかどうか」しか考えていなかった。
「正しいかどうか」だけを判断基準にしていた。
自分が何を感じているか。
本当に望んでいるのは何か。
どんな場面で心が冷えるのか。
そんなことは、一切見てこなかった。
気づけば、私は他人の構造の中で生きていた。
「こうすれば売れる」
「こうすれば伸びる」
「こうすれば信頼される」
そんな正解に、自分を押し込めていた。
怖くても、違和感があっても、それが成功する方法だと思い込んでいた。
でも、問いが生まれたとき、すべてが変わった。
なぜ私は、怖いのに発信しようとしているのか?
なぜ私は、成果が出ない自分を責め続けているのか?
なぜ私は、誰かの成功パターンにしがみついているのか?
問いが生まれるたびに、景色が変わっていった。
頑張れない自分の裏に、明確な理由があったことに気づいた。
私は、
・注目されると、頭が真っ白になる
・集団の中だと、能力を発揮できない
・競争が続くと、自分を見失ってしまう
それが私の構造だった。
それなのに私は、ずっと「目立て」「売れろ」「勝て」という構造にいた。
そりゃあ、壊れるはずだ。
でも、その問いがあったからこそ、私は言えた。
「もう、他人の構造では生きない」と。
問いを持つことで、私は初めて、自分を活かす構造という選択肢に気づけた。
そして、そこから私の人生はゆっくりと、自分の手に戻ってきた。
構造が変わると、人生の手応えが変わる
構造を見直してから、私の人生は静かに、でも確実に変わっていった。
もう、無理に目立たなくていいと気づいた。
SNSでバズらせる必要もなければ、演出で飾る必要もなかった。
代わりに私は、
・自分の言葉が素直に届く「小さな場」を選び
・短くても深い対話の積み重ねを大切にし
・派手さよりも思想や文脈が届く仕事を選んだ
見た目の派手さや数字を追うのをやめたことで、私はようやく、自分のままでいられる構造にたどり着いた。
努力は、今でもしている。
でも以前のように、「誰かの期待に応えるための努力」ではない。
「自分の内側と調和するための努力」になった。
構造が変わると、努力は消耗ではなく、手応えになる。
日々の行動が、不安や緊張からではなく、「ここなら、ちゃんと自分でいられる」という安心感から生まれるようになった。
小さくても確かな成果が積み上がる。
比べることも、急かすこともない。
それがどれほど心を穏やかにし、行動の質を高めてくれるか、私は身をもって知った。
自分に合った構造に身を置くこと。
それは、人生をもう一度「自分の側」に取り戻すことだった。
問いと構造の視点で、もう一度、自分を生きる
いま、あなたが感じている息苦しさや違和感。
それは、あなたの努力が足りないからではありません。
あなたの意志が弱いわけでもありません。
ただ、あなたに合わない構造に、身を置いていただけです。
人は、合わない構造の中では、どれだけ誠実に努力しても報われません。
むしろ、頑張れば頑張るほど、自分を見失っていく。
だからこそ、あなたにはまず「問い」が必要なのです。
-
なぜ、私は今のやり方に苦しさを感じるのか?
-
なぜ、自分の言葉が出てこないのか?
-
なぜ、こんなにも報われなさを感じているのか?
その問いを持ったときから、あなたの景色は変わり始めます。
問いが生まれれば、構造が見える。
構造が見えれば、「報われる場所」も選び直せる。
そうして、人はようやく、自分の人生を生き始めることができるのです。
私もそうでした。
問いを持たなかった過去。
構造を間違え、自分を消し、崩れかけた経験があるからこそ、今こうして伝えています。
だからこそ私は、このブログを通じて、「構造の外から見る力」「問い直す視点」を、必要な人に届けていきます。
7日間の無料メルマガも公開中です。
このメルマガでは、以下のようなテーマを扱っています。
✅ 自分に合った構造を見つけるワーク
✅ 努力が報われる仕組みの設計
✅ ノウハウ依存から自立へと移行する視点
このメルマガに登録することは、単なる情報収集ではありません。
それは、「借りものの構造を卒業する」という、あなた自身の選択です。
私は一度、すべてをリセットしました。
フォロワー、ブログ、LINE、メルマガ、YouTube、積み上げたものをすべて手放し、ゼロから「自分の構造」を作り直しました。
だからこそ、言えるのです。
あなたの人生は、いつからでも自分の側に取り戻せる。
問いから始まる再起動の旅を、一緒に。
この記事の執筆者:鎌田 雄大
自営業18年。整体業・物販業を経て、ネットビジネスの世界へ。
一時はテンプレ通りの発信で売上・フォロワー・リストも伸ばしたが、違和感と空虚感から一度すべてを削除。
YouTube:250本削除
SNS(X):約4000フォロワーを削除
メルマガ&LINE:約300人のリスト削除
ブログ:30記事削除
ゼロから、「問い」と「構造」を軸にした事業を再構築。
現在は、依存させない支援と問い直す力の再起動をテーマに、ブログとメルマガで情報発信を行っている。
思想のコア:構造主義的自立主義者
「テンプレで成果は出ても、問いを失えば空虚しか残らない」
「発信や商品は、構造に合わなければ壊れる」
「支援とは、卒業を前提とした一時的な設計であるべきだ」
これが、僕の支援スタンスです。
模倣・テンプレ・属人性に疲れた人たちに、本来の自分の構造を取り戻してもらうことを目的としています。
提供しているのは「商品」ではなく、「問い直す空間」
このブログの内容も、メルマガの中身も、あなたに正解を与えるものではありません。
「なぜ、自分は動けなかったのか?」
「どんな構造なら、自分は壊れずに動けるのか?」
その問いを、一緒に持ち直すための再起動空間です。
もし、あなたが今、「ノウハウの次」に進もうとしているのなら。
その一歩として、まずこの7日間を、受け取ってください。







コメントを残す